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シンプソン・サッチャーの歴史

 1884年、コロンビア・ロースクールの卒業生で、ロー・クラーク(判事助手)を務めていたジョン・ウッドラフ・シンプソン、トーマス・サッチャー及びウィリアム・ミロ・バーナムの3人がニューヨークで新しい法律事務所を開設しました。以来、当事務所は、幅広いクライアントに対して複雑な法的課題についてのアドバイスを提供してきました。900人超の弁護士を擁し世界中に10のオフィスを構える現在まで、一貫して、協調・敬意・創造性・協働そして依頼者第一の価値観を保ち続けております。

Simpson
Thacher
Bartlett

創業から近代

 米国近代の鉄道産業の統合への関与、第一次世界大戦後の国外投資や国際的な銀行の代理、米国における蒸気船・機械等の主要産業の成長のために資金を提供する証券引受業務を経て、第二次世界大戦終戦後にシンプソン・サッチャーは組織の改編を行い、訴訟・コーポレートファイナンス・バンキング・労働法・税法・不動産・信託法といった各部門を設置し、これが現在の体制の基礎となりました。1930年代以降、当事務所の企業向け業務は金融サービス分野に焦点をあて、米国のほぼ全ての大手投資銀行を顧客とするようになりました。

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1950s-1990s

 近代的な会社の形成期である1950年代と1960年代における銀行や投資銀行に対する我々の初期の仕事は、今日の当事務所の卓越したM&Aアドバイスの基盤となり、1970年代-1990年代に台頭した未公開株式投資とM&Aにおいて、次々と歴史的な取引に従事しました。例えば、当時最大のLBOであり、また映画「野蛮な来訪者―RJRナビスコの陥落(Barbarians at the Gate)」の題材にもなった1989年のRJRナビスコ買収においてKKRの代理人を務めました。

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1990年代 - 2000年代

 1990年代-2000年代は、シンプソン・サッチャーにとって、戦略的・地理的拡張の時代となりました。金融関連の顧客の多くが重きを置いたロンドンに1978年にオフィスを開設したのを皮切りに、日本において外国の法律事務所が業務を行うことが初めて許された1990年に東京にオフィスを開き、またその3年後には香港オフィスを設置しました。アメリカ国内では、1996年にロサンゼルス・オフィス、1999年にパロアルト・オフィスを設け、また2005年に開設したワシントンDCオフィスでは、独占禁止法、証券、政府調査・内部調査及び規制関連の訴訟並びに仲裁を中心にサービスを提供しています。その後、更に国際業務を拡大しており、2007年には北京オフィス、2009年にはラテンアメリカを対象とした顧客ニーズへの対応強化のためサンパウロ・オフィス、エネルギー、石油、ガス部門に関心をもつ顧客のため2011年にヒューストン・オフィスをそれぞれ設置しました。

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2000年代 - 現在

 近年従事した大規模案件には、例えば以下のものが含まれます。


  • アリババ、フェイスブック、ヒルトン、グーグル、ブラックストーン、カーライル、KKR、マスターカード、ドリームワークスアニメーション、日本航空、テスラを含む、過去10年間で300件以上の新規株式公開
  • マイクロソフトによる$85億でのSkype社の買収、ボーダフォンによるベライゾンへのベライゾン・ワイヤレスの$1,300億の持ち分の売却、ワイス社の$680億でのファイザーへの売却等のM&A案件
  • 米国財務省による、2008年の金融危機後の不良資産救済プログラム(TARP)策定にかかわるアドバイス
  • 911テロ攻撃時に世界貿易センターをカバーしていた$35億の損害保険に関わる、再保険会社スイス・リーの陪審評決勝訴

 シンプソン・サッチャーは、最上級のプロ意識を19世紀から現在まで一貫して維持し、その取引の規模や対象が劇的に発展した今日においても、130年前の3名の設立者の志を保ち続けています。依頼者へのサービスに献身し、今後もリーガルサービスを提供し続けることにシンプソン・サッチャーは大きな喜びを感じています。

 

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